ひみつ

少しずつ、過ごしやすい気温になってきました。モザイクの教室の準備を進めてみているこの頃です。

 

昨日のkobanashiに、母が宿題を手伝ってくれたことを書きましたが、いろいろと思い出しついでに、その関係のおはなしを書きたいと思います。

 

母はなにかに気乗りすると、ときどき私が持ち帰った宿題を手伝ったり、いろいろ頼んでもないのにアドバイスをしてくれたりした。主には写生大会や学園祭のポスターなどの美術系のことであるが、中には別のジャンルのこともあった。

 

ある日、中学校の美術の先生が、(おそらく学内の人権委員会的なお仕事もかけもっていたためであろうが)人権の標語を募集する紙を全校生徒に配った。でも内容はゆるいもので、出しても出さなくてもどっちでもいいというようなものであった。私は当然、何も提出する気はなく、その紙を家の片隅に置いたまま、すっかり忘れていた。

 

そして幾日か経ったある日、おそらくその標語の締め切りの日だったのだろう。母が私に言った。

「これ。書いてみた。ママの力作。出しといて。」

 

知らない間に母がその提出用紙を見つけ、気分が乗ったので書いてみたと言うのだ。私は特に何も考えずに、母の字で私の名前と、標語が書かれた紙をとりあえず学校に提出しておいた。

 

それから、何ケ月経った頃であろうか、休日に妹と私は毎度のことながら、家でダラダラと時間を過ごしていた。突然、家のチャイムが鳴る。私はとても汚い格好で、玄関を開けた。

背広を着た見たこともない男の人が、そこに立っている。背広を着ることがめったにない家の父とは全く縁がないような、サラリーマン風の人である。彼は、裸足で玄関に立つぼーっと休日を満喫している私の姿をちらっとながめ、

「このお宅は、滝沢さんのお宅ですね。どうして今日、授賞式に来なかったのですか?」

 

なんだか怒っているようである。私はよく意味が分からない。

「とりあえず、賞状とおかしを持ってきました。」

 

そして、言ったとおりに筒に入った賞状と、お菓子の箱を置いて行った。

 

お菓子の箱の中身を開けると、ショートケーキとシュークリームが入っている。見境のない妹と私は、ふいに降ってきた豪華でおいしいものを、がつがつと食べた。食べ終えてから、やっと、さっきのは一体なんだったのだろうかと考え、賞状を開いてみた。それは、どうやら私の何かを讃えるための賞状であるには違いないが、身に覚えが全くない。

 

しばらく考え、これはもしかしてあのとき母が私に手渡した、例の人権の標語ではないだろうか。と思い当った。

 

その日を境に、市内中に私の名前をのせた人権標語が張り巡らされだした。ほかにも何人か受賞者はいたようで、スーパーやら公的な施設などに、その標語の紙の連なりは、次の受賞者が決まる一年後まで張られていたような気がする。あるいは、すぐになくなったのかもしれないけれど、私はそれを見る度に、悪いことをしている気分になって、深く記憶に刻まれているため長い時間に思えたのかもしれない。

 

市内中でお祝いする、中学生にしてみれば大きな賞であったが、学校の美術の先生はおそらくとても適当な性格であったために、出さなくても出してもどっちでもいいような軽いものとしてそれを募集し、受賞した学生に授賞したことも、授賞式があることも知らせるのを忘れていたのだろう。お陰で、私はよく知らない人に、ダラダラしていた休日の格好を見られ、特に理由もないのに、大切な授賞式をすっぽかしたと思われ、怒られながらも、めんどくさい式に出ることなくケーキにありつけた、、、、でなく、まあ、なんだか、予想していたよりも大きなことになってしまったことに、家族で驚くこととなった。

 

その後、

「このことは他言無用に、ひみつにしておこう。」

 

という家族のひみつとして、この事実は取り扱われたのである。が、もう時効だろうと思い、書いてみた。ケーキがなかったら、全くよくない思い出である。

 

妹には、

「お母さんが書いたのに、お姉ちゃんの名前だけ、市内に出てずるい。」

と言われたが、「できれば変わってあげたい、お前も母が気軽になにかを提出しといてと言ったときは気をつけなさい。」と頭の片隅で思ったのである。